会議で意見を言う前に、上司の反応を確かめる。

指示された範囲を超えるときは、まず確認する。

はっきり言われなくても、周囲の様子を見て動く。

こうした振る舞いに、心当たりはないでしょうか。

相手の意図をくみ取り、足並みをそろえることは、仕事を円滑に進める助けになります。一方で、「何を求められているか」が言葉にならないままだと、部下は判断に迷い、上司も「言わなくても伝わるはず」と考えてしまいます。

日本の会社で見られるこうした関係を考える手がかりの一つが、武家社会です。主君と家臣の関係では、忠義や上下関係が重んじられました。ただし、現代の職場の振る舞いが、すべて武士道から直接生まれたわけではありません。

前回のコラム(江戸時代の組織論は、現代の日本企業に何を残したのか?|現代企業に受け継がれた仕組みと考え方)では、幕府や商家の仕組みに、稟議や年功、OJTの原型を見つけました。

今回は、もう少し違う角度から江戸を見ます。

武士という身分そのものが、会社に何を残したのか。その問いを考えてみます。

武士道という言葉から、私たちが連想するもの

武士道と聞くと、「忠義」「名誉」「切腹」などを思い浮かべる人が多いかもしれません。

ただ、現在よく知られている「武士道」のイメージを、そのまま江戸時代の武士の考え方と捉えることはできません。まずは、その理由を見ていきましょう。

武士道は、誰かが書いた「教科書」だった

いま世界的に知られる『武士道』は、教育者の新渡戸稲造が1900年に英語で著した書物です(コトバンク「武士道(新渡戸稲造の著作)」)。

欧米の読者に向けて、日本人の倫理観を説明するために書かれたとされています。

つまり武士道は、武士たちが日々もらしていた掟というより、後の時代に体系立てて言語化された思想という側面を持っています。

この点は、学術的にもさまざまな見方があり、断定はできません。

ただ、江戸期の武家社会に、忠義や名誉を重んじる気風があったこと自体は、多くの史料が示すところです。

主君に尽くすことは、なぜ「美徳」になったのか

武士と主君の関係は、もともと一方的な忠誠ではありませんでした。鎌倉時代の武家社会には、「御恩と奉公」という関係がありました。参考:コトバンク「御恩・奉公」

主君が御恩として所領を保障する。

家臣は奉公として、命がけで戦う。

ギブアンドテイクの契約に近いものだった、という説明がしばしばなされます。戦のない江戸の世になると、命がけで戦う機会はなくなります。

その代わりに、日々の忠勤や礼節を尽くすことが、奉公の中身になっていきました。

藩という組織にとって、武士道は「就業規則」でもあった

江戸時代の藩は、領地を治め、財政を管理し、多くの家臣がそれぞれの役割を担う組織でした。その運営には、家臣がどのように振る舞い、仕事を進めるかについての決まりや心得が必要です。

たとえば、大名家には、家の存続や人との接し方を子孫に伝える「家訓」がありました。ただし、家訓は主に当主や後継者に向けたもので、現代の会社の就業規則と同じものではありません。藩ではほかにも、家臣に向けた決まりなどを通じて、守るべき秩序や役割が伝えられていました。

忠義や礼節を重んじる考え方も、こうした武家社会の中で伝えられていきました。ただ、前の節で見たように、それらを一つの「武士道の教科書」にまとめて、すべての藩士が同じように学んでいたわけではありません。

忠義という思想が、組織に与えた「安定」

武士にとっての忠義は、主君への敬意や服従として語られます。一方で、家臣には、主君が代替わりしても大名家を支え続けるという役割もありました。

たとえば、若い藩主が就任したとき、経験のある家臣が政治や財政の実務を担えば、家の運営を続けやすくなります。忠義には、目の前の主君に仕えるだけでなく、家を存続させるために自分の役割を果たすという面もあったと考えられます。

もちろん、家臣と主君の関係は時代や家によって異なります。忠義があれば代替わりしても必ず組織が安定した、というわけではありません。それでも、個人が替わった後も組織をどう維持するかは、当時の大名家にとって重要な課題でした。

「上意下達」は、武家社会がつくった秩序の型

武家社会には、主君の命令を家臣が受けて動く上下関係がありました。この点から、「藩は上から下への命令だけで動いていた」と想像するかもしれません。

しかし、実際の政治では、藩主がすべてを一人で決めていたわけではありません。家老や用人などが情報を集め、相談し、藩の方針を決めていく場面もありました。決定した方針は、役割を持つ家臣たちを通じて実行されます。誰がどこまで判断するかは、藩や時期によっても違いました。

ここには、現代の会社にも通じる問いがあります。誰が情報を集め、誰が決め、誰が実行するのか。 組織が大きくなるほど、その役割を整理する必要があるのです。ただし、現在の会社の意思決定が藩の仕組みから直接生まれた、とまでは言えません。

「察する」文化は、どこから生まれたのか

武士には、多くを語らないことが美徳とされる面がありました。不満や弱音を、言葉にして訴えることは、はしたないとされたのです。

主君や上役は、家臣が言葉にしない思いを、察して汲み取ることが求められました。

言わなくても伝わる。言わせないことが、思いやりですらある。この感覚が、現代の「空気を読む」文化の遠い源流のひとつだった可能性は、十分に考えられます。もっとも、察する文化を武士道だけに帰するのは単純化しすぎで、稲作社会の同期化の影響もあわせて見る必要があります。

複数の要因が重なり合って、いまの「察する」文化ができあがったと考えるのが妥当でしょう。

それでも、上下関係の中で言葉を飲み込むという型を、武家社会が強く後押ししたことは、想像に難くありません。

名誉と恥、失敗を許さない空気の源流

武士にとって、名誉を汚すことは、命を失うことよりも重い意味を持ちました。切腹という制度そのものが、失敗や不名誉に対して、どれほど厳しい社会だったかを物語っています。

ミスを認めることが、そのまま存在価値の否定につながる。そんな緊張感が、日常の隅々にまで行き渡っていたと考えられます。

失敗を報告しにくい空気、ミスを隠したくなる心理。その源流をたどっていくと、この時代の名誉観に行き着くのかもしれません。

もちろん、現代の会社員に切腹の緊張感がそのまま残っているわけではありません。ただ、「失敗した人間」というレッテルへの恐れは、いまも根強く残っています。ミスを報告した人が評価を下げられる職場では、人は自然と、失敗を隠すことを選びます。

それは個人の弱さではなく、恥を強く恐れる文化が、そう仕向けているのかもしれません。

明治以降、武士道はどう会社に持ち込まれたのか

明治維新で、武士という身分は制度上なくなりました。

しかし、武士だった人々やその子孫は、官僚や実業界の担い手として、そのまま社会の中枢に残ります。彼らが身につけていた忠義、上意下達、名誉を重んじる感覚は、そのまま新しい会社組織にも持ち込まれました。

「滅私奉公」という言葉が、会社員の美徳として語られてきた背景には、こうした連続性があると指摘されています。富国強兵、殖産興業という国家目標のもと、実業界には多くの旧武士階級が身を投じました。

彼らにとって、会社は新しい形の「藩」であり、経営者は新しい形の「主君」だったのかもしれません。そう考えると、日本企業に長く残ってきた終身雇用や年功序列も、まったく別の角度から見えてきます。

現代の会社に残っている「武士道の断片」

現代の会社にも見られる、武家社会と似た考え方
上司の指示を、まず優先する。
長く勤めることを、会社への貢献と考える。
言われる前に、相手の意図をくみ取って動く。
こうした考え方には、武家社会で重んじられた忠義や上下関係と、似ている部分があります。
ただし、終身雇用や年功序列を「武士道から生まれた制度」とは言えません。現代の働き方は、その後の社会や経済の変化を受けて形づくられたものです。武家社会との共通点は、いまの会社の当たり前を見直すための手がかりとして捉えるのがよいでしょう。
たとえば、「上司への報告は早く」と言われても、悪い知らせほど伝えづらい職場があります。そこには、上司との関係だけでなく、報告を受けたときの反応や、誰にどう伝えるかが決まっていないことも関係しているかもしれません。

水路は、武家の時代にもあった

過去のコラムでは、組織を田んぼに、仕事が流れる仕組みを水路にたとえてきました。

参考:なぜ日本の職場は“空気”で動くのか?答えは田んぼにある

武家社会にも、人がそれぞれの役割を果たし、組織を動かすための水路がありました。主君と家臣の関係、役職ごとの役割、決まったことを伝えて実行する流れなどです。
一方で、「主君から家臣へ、命令が下りるだけ」と考えると、当時の組織の姿を単純にしすぎてしまいます。家老などが藩の運営について相談し、藩主に意見を伝えることもありました。ただ、誰でも同じように意思決定に加われたわけではありません。意見を届けられる範囲は、立場や役割に左右されていたのです。
現代の会社でも、指示や報告の経路はあっても、現場で気づいた問題や反対意見をどう伝え、どう扱うかまでは決まっていないことがあります。水路のたとえで言えば、仕事を進める道筋に加えて、現場の声が届く道筋も必要です。

私たちが受け継ぐべきものは何か

組織を安定して動かすには、役割や手順を決めることが大切です。同時に、その手順では対応できないことや、失敗しそうなことを伝えられる仕組みも欠かせません。
たとえば、「問題が起きたら報告する」だけでは、担当者は迷うかもしれません。**どの段階で、誰に、何を伝えるか。報告を受けた人は、どう対応するか。**そこまで決まっていれば、早い段階で声を上げやすくなります。
決まった手順に従うことと、必要なときに意見を伝えることは、両立できます。現場の声を受けて手順を直せるようにすれば、組織の仕組みも少しずつ良くなっていきます。
あなたの会社では、困ったことや失敗の兆しを、誰にどう伝えるか決まっているでしょうか。言いづらさを個人の勇気だけに任せず、声が届く道筋まで設計することが、これからの組織づくりに必要なのだと思います。