― 稟議も、年功も、「見て覚えろ」も、二百六十年前に原型がある ―

現代の会社には、誰も理由を説明できないのに、当たり前に続いている仕組みがあります。

複数の人が判子を押していく稟議。勤続年数がゆるやかに役割を決めていく人事。先輩の仕事を横で見ながら覚えていくOJT。そして、入社時に配られる分厚い就業規則。

これらは、明治以降に西洋から輸入されたものだと思われがちです。しかし、その多くは江戸時代の組織運営に原型を見つけることができます。

前回のコラム(なぜ日本の職場は“空気”で動くのか?答えは田んぼにある)では、日本の組織文化の源流を稲作にたどりました。今回はもう少し時代を下って、江戸という二百六十年に目を向けます。

この時代の日本人は、何を発明し、私たちは何を受け継いだのでしょうか。

江戸時代、日本はすでに「組織」で動いていた

江戸時代というと、身分制度や封建社会という言葉で語られがちです。

しかし少し角度を変えて見ると、この時代は、日本史上はじめて「大規模な組織を、長期間、安定して動かし続けた」時代でもありました。

戦がなくなれば、武力ではなく事務で国を回すことになります。人口が増え、流通が広がれば、商売も一人では回らなくなります。

組織の運営が、はじめて全国的な課題になった時代。それが江戸だったと言えます。

幕府がつくった、権限を「人」から切り離す仕組み

幕府の政務を担った最高職に、老中があります。

興味深いのは、その運用のされ方です。老中の定員は4〜5名とされ、月番制が採られていました。毎月ひとりが当番として交代し、日常の事務を処理する。そして重要な案件は、老中が連署して決める仕組みでした。

さらに『山川 日本史小辞典』によれば、1630年代に三代将軍・徳川家光によって合議や月番が強く求められ、職掌も順次成文化されていったとされます。

ここには、はっきりとした設計思想が見て取れます。

  • 権限を、特定の個人ではなく役職に持たせる
  • 担当者は交代することを前提にする
  • 重要な判断は、一人で決めない
  • 誰が何を担うのかを、文字にする

担当者が代わっても機能が止まらないように設計する。これは、現代の業務設計とほとんど同じ発想です

参考:コトバンク「老中」(『改訂新版 世界大百科事典』『山川 日本史小辞典』ほか)。

越後屋という、もうひとつの巨大組織

組織を発達させたのは、幕府だけではありません。

延宝元年(1673年)、三井高利は江戸に呉服店・越後屋を開きます。この店が持ち込んだのは、「現金掛け値なし」という商法でした。正札をつけた定価制の店頭現金取引です。一反単位が常識だった時代に切り売りを断行し、その場で仕立てる仕立て売りも始めました。

注目したいのは、その運営の仕方です。京都の店は長男の高平が、江戸の店は高富が管理し、高利自身は江戸に赴くことなく松阪から采配を振るったと記録されています。

創業者が現場にいない。それでも店は回る。

この状態は、仕組みが人から独立していなければ成立しません。江戸の商家は、私たちが考えるよりずっと早くから、その課題に取り組んでいました。

商家がつくった、三つの仕組み

江戸の商家が残したものは、大きく三つに整理できます。

一、育成の「階段」をつくった

三井の奉公人には、明確な昇進の道筋がありました。

公益財団法人三井文庫の資料によれば、13歳で「子供」として見習い奉公を始め、17歳で元服して平手代となる。そこから約10年勤めると役職を持つ「役付手代」となり、さらに約10年をかけて4階級ほど昇ると、39歳で暖簾分けが認められたとされます。

報酬の設計も独特です。給金ではなく、着衣や食事の支給に加えて、退職時に受け取る「元手銀」と、役職に応じて支給される「褒美」で構成されていました。

ここで重要なのは、金額の多寡ではありません。

何年で、何ができるようになるのかが、組織の共通認識になっていたということです。

いま自分がどの段階にいて、次に何を身につければ次の段階に進めるのか。それが見えている状態は、育てる側にとっても、育つ側にとっても、大きな安心になります。

二、判断の基準を「文字」にした

享保7年(1722年)、三井高平は父・高利の遺訓をもとに「宗竺遺書」を制定します。約50項目からなるこの家憲は、同族の範囲、結婚や負債の扱い、利益の配分方法、さらには大名への貸付を禁じることまで規定していました。

そしてこの家憲は、明治33年に「三井家憲」として改訂されるまで、およそ200年にわたって守り継がれます。

200年。

これは、精神論では到達できない年数です。判断の基準が文字になっていたからこそ、創業者を知らない世代が、創業者の考え方に従って判断できた。

現代の企業理念、行動指針、就業規則。その原型は、ここにあります。

三、記録を「組織の資産」にした

三つ目が帳簿です。

商家の売買勘定の元帳である大福帳は、得意先ごとに口座を設け、取引の状況を明らかにするものでした。『日本大百科全書』には、商家にとってもっとも重要な帳簿であったため、主人や番頭だけが取り扱い、符丁を使って店員には秘密にしていた店もあったと記されています。

秘匿されていたという事実は、裏を返せば、それだけの価値が記録に認められていたということです。

誰がいつ何をいくらで買ったか。その情報が個人の記憶ではなく紙に残っていれば、担当者が代わっても取引は続きます。

記録は、個人の記憶を組織の資産に変える装置でした。

参考:三井広報委員会「越後屋誕生と高利の新商法」三井広報委員会「三井家の家憲『宗竺遺書』」

現代企業に、残ったもの

では、この三つは現代にどう受け継がれたのでしょうか。

合議による意思決定は、稟議という形で残りました。勤続年数に応じて役割が変わる仕組みは、年功的な人事として残りました。現場で先輩から学ぶ育成は、OJTとして残りました。

形の上では、確かに受け継がれています。

そして、失われてしまったもの

一方で、失われたものもあります。

もっとも大きいのは、暖簾分けという「出口の設計」ではないでしょうか。

39歳で独立を認めるという前提があれば、育成のゴールは明確です。いつか一人で店を持てる人間にする。そのために何を教えるかが、逆算で決まります。

独立が前提から外れると、育成は社内に閉じます。ゴールが曖昧になり、「なんとなく一人前になる」ことを期待するようになる。

もう一つ失われたのが、判断基準を文字にする習慣です。

200年守られた家憲があった組織が、いまは「暗黙の了解」で動いている。この落差は、決して小さくありません。

なぜ「見て覚えろ」だけが強く残ったのか

三つの仕組みのうち、成文化と記録が薄れ、現場での見習いだけが強く残った。この偏りは、どこで生まれたのでしょうか。

断定はできませんが、一つの説明はできます。

組織が急速に大きくなる局面では、書いている時間より、走りながら教えるほうが速いのです。人が増え続け、事業が伸び続けている限り、「見て覚えろ」は機能します。教える側も教わる側も、同じ場所に、同じ時間だけ、十分な人数がいるからです。

問題は、その前提が崩れたときに現れます。

人が減り、転職が当たり前になり、教える側にも時間がない。そうなったとき、「見て覚えろ」だけが残った組織には、渡すものが何もありません。

江戸の組織が機能した、本当の理由

ここで、江戸の組織を美化しすぎないように整理しておきます。

身分制度を前提にした社会であり、そのまま現代に持ち込めるものではありません。それでも、機能した理由は二点に絞れます。

一つは、判断の基準を書いていたこと

家憲も、幕府の職掌の成文化も、迷ったときに立ち返る場所として実務に効いていました。精神論を掲げただけの文書ではありません。

もう一つは、型を渡したうえで、裁量を残していたこと

手代から番頭へと段階的に権限を委ね、最後には独立まで認める。すべてを縛るのではなく、標準の上に個人の判断を積み上げさせる設計でした。

標準化と裁量は、対立するものではなかったのです。

水路は、江戸時代からあった

前回のコラムで、私たちは組織を田んぼにたとえました。水路が整っていれば連帯は機能し、水路がなければ責任だけが重くなる、と。

江戸の商家と幕府がやっていたのは、まさに水路を引く作業でした。

  • 誰が何を担うのかを決める(職掌の成文化)
  • 何年で何ができるようになるかを決める(昇進の階段)
  • 迷ったときに立ち返る基準を決める(家憲・店則)
  • 誰が代わっても続くように記録を残す(帳簿)

言い換えれば、業務分掌、育成計画、判断基準の明文化、記録の保全です。

私たちがいま「業務の可視化」と呼んでいるものは、決して新しい概念ではありません。日本の組織は、二百六十年前にすでにそれをやっていました。

私たちが受け継ぐべきものは何か

江戸時代の組織論が現代企業に残したものは、稟議でも年功でもOJTでもないのかもしれません。

残すべきだったのは、型を渡したうえで、その先の判断は個人に委ねるという設計思想のほうです。

mayclassは、すべての属人化をなくすことを目的にしていません。基本の流れは標準化する。しかしその先の工夫や配慮は、個人の裁量に残す。「この会社には自分が必要だ」と思える余地は、意図的に残すべきだと考えています。

これは新しい主張ではありません。三井が、39歳で独立させることを前提に人を育てた時代から、日本の組織が持っていた考え方です。

私たちが失ったのは、能力でも文化でもありません。書く習慣です。

あなたの会社に、迷ったときに立ち返れる基準は、文字になって残っているでしょうか。

もしその答えが「人の頭の中にある」だとしたら。それは、組織が弱いということではありません。水路の引き方を、少し忘れているだけなのだと思います。

二百六十年続いた組織は、それを知っていました。私たちも、思い出せるはずです。

参考:公益財団法人三井文庫「奉公人1 昇進と報酬」

参考:コトバンク「大福帳」(『日本大百科全書』ほか)