2026年4月、国土交通省は全日本空輸(ANA)に対し、整備業務における規程違反を理由に業務改善勧告を行い、あわせて安全統括管理者の職務に関する警告も発出しました。注目すべきは、今回の事案が「マニュアルや規程が存在しなかった」ことによるものではなく、規程は整備されていたにもかかわらず、担当者が自らの判断でそれに従わなかったという点です。
「マニュアルはあるのに、なぜ守られないのか」という問題は、航空業界に限らず、製造業やサービス業、オフィスワークまで、あらゆる現場で起こり得ます。本記事では、マニュアルが遵守されない3つの原因と、現場に定着させるための仕組みづくりについて、マニュアル・規程の整備に課題を感じている管理職・コンプライアンス担当者に向けて解説します。
なぜ今、「マニュアルが守られない」問題が注目されているのか
2026年4月に公表されたANAの整備規程違反事案
2026年4月、国土交通省は、ANAの整備作業において、社内規程に違反する行為が確認されたことを公表しました。
国土交通省の発表によると、2025年11月27日、大阪国際空港で行われた整備作業において、ANAが自社で使用を禁止していた作動油を誤って使用する事案が発生しました。
作業に関与した整備士は、禁止されている作動油を使用したことに気づいたものの、自社規程を「恣意的に解釈」して問題はないと判断。事実と異なる整備記録を作成し、必要な是正措置を行わないまま航空機を運航させていたことが確認されています。
また、同年11月13日には、成田国際空港で貨物機の貨物室レールに損傷があるとの報告を受けた整備士が、自社規程を意図的に確認しないまま「軽微な不具合」と判断し、必要な修理を行わずに運航させていたことも判明しました。
国土交通省は、これらの行為について、航空法に基づき認可された業務規程および整備規程に違反するものであり、意図的に行われていたことから、「個人的な悪質性が認められる」と指摘しています。
さらに重要なのは、ANAが2025年10月にも、福島空港において整備規程に従わない不適切な整備を行ったとして、国土交通省から厳重注意を受けていた点です。
ANAは再発防止に向けた対策を進めている最中でしたが、その後も規程違反が発生しました。国土交通省は、講じられた対策が十分に機能しておらず、「再発防止に係る安全管理システムが機能していない状況にある」としています。
問題は「マニュアルがないこと」ではなく「あるのに守られないこと」
この事案が示しているのは、規程やマニュアルを整備しただけでは、現場での逸脱や不適切な判断を防げないという現実です。
企業では、マニュアルの作成や更新そのものが目的になってしまうことがあります。しかし、本来問われるべきなのは、マニュアルが現場で正しく参照され、判断や行動に反映されているかという運用の実態です。
どれほど詳細なマニュアルが用意されていても、担当者が確認せずに作業を進めたり、「これくらいなら問題ない」と独自に解釈したりする状態では、マニュアルは十分に機能しているとはいえません。
また、違反が発生した後に注意喚起や研修を行っても、なぜ規程を確認しなかったのか、なぜ自己判断が許容されたのか、なぜ周囲が逸脱を止められなかったのかといった構造的な原因を改善しなければ、同様の問題が繰り返される可能性があります。
これは航空業界だけに限った問題ではありません。
製造、建設、医療、介護、物流、サービス業など、一定の手順やルールに基づいて業務を行うあらゆる組織において、「マニュアルはあるが守られていない」という問題は起こり得ます。
重要なのは、マニュアルを作成することではなく、現場で確認され、守られ、必要に応じて改善され続ける仕組みまで設計することです。
マニュアルが整備されている企業でも「課題感」を抱えている実態
マニュアルの遵守・活用に関する課題は、統計データからも裏付けられています。ナレッジ管理サービスを提供する株式会社プロジェクト・モードが2024年に実施した調査(回答者:国内企業に勤める会社員620名)によると、業務マニュアルが「ない」と回答した企業は10.8%にとどまる一方、マニュアルが用意されている企業のうち「充実していない」と回答した割合は53.7%にのぼりました。マニュアル自体は存在していても、半数以上の企業がその内容や運用に課題を感じているということです。
同調査では、マニュアルが充実していない場合の課題として「人によって言うことがバラバラで、業務品質にばらつきが出る」「異動・退職時に引き継ぎがうまくいかない」といった声が多く挙がっています。また、「マニュアルが整備されていれば課題は解決すると思う」と回答した人は54.5%にのぼる一方、整備に取り組めていない理由として「時間・工数の余裕がないから」を挙げた人が60.7%と最多でした。

これらのデータからは、マニュアルが「ないから守られない」というより、「作る余裕がなく形だけになっている」「作っても現場の実態に合っていない」という、運用面での課題が根深いことが見えてきます。
マニュアルが守られない3つの原因
原因1:内容が形骸化している(読み手視点の欠如)
マニュアルが分厚く、専門用語が並び、読み手が「読む気になれない」内容になっているケースは少なくありません。作成する側の都合で情報を羅列しただけのマニュアルは、現場にとって使いにくく、次第に参照されなくなっていきます。マニュアルが読まれない原因は、読む側の意識の問題ではなく、読み手を意識した設計になっていないことにある、という点は見落とされがちです。
原因2:「慣れ」による軽視と自己判断の常態化
同じ作業を繰り返すうちに、「このくらいなら大丈夫」という自己判断が生まれやすくなります。ANAの事案でも、整備士が規程を確認しないまま「軽微な不具合」と自己判断したことが問題の起点となっていました。マニュアルに沿った行動が長期間評価されず、逆に自己判断による「効率化」が黙認され続けると、逸脱が徐々に常態化していきます。
原因3:確認・エスカレーションの仕組みがない
現場での判断に迷いが生じた際、誰に相談すればよいか、どこまでを自分の裁量で判断してよいかが明確でない場合、担当者は自己判断に頼らざるを得なくなります。ANAの事案でも、規程違反に気づいた後、正規の手続きで是正を求めるのではなく、記録を操作して問題を隠すという方向に進んでしまいました。確認・報告のルートが機能していなければ、マニュアルがあっても遵守を担保することはできません。
現場で守られるマニュアルに共通する3つの設計ポイント
マニュアルを現場に定着させるには、手順を並べるだけでは不十分です。読み手が無理なく活用できる構成にし、判断基準や現場の裁量まで含めて設計する必要があります。
ここでは、現場で守られ、実際の業務に活用されるマニュアルに共通する3つの設計ポイントを解説します。
1.マニュアルを現場に定着させるには、読み手視点で設計する
マニュアルに対して「古くさい」「読むのが面倒」「必要な情報を探しにくい」といった印象を持たれると、現場で活用されにくくなります。
内容が正しくても、文章が長すぎる、文字ばかりで理解しにくい、必要な手順にすぐたどり着けないといった状態では、業務中に参照してもらえません。
マニュアルを現場に定着させるには、読み手の知識や利用場面を想定し、次のような工夫を取り入れることが重要です。
- 1ページに情報を詰め込みすぎない
- 見出しや番号で情報を探しやすくする
- 画像、図解、フローチャートを活用する
- 専門用語や曖昧な表現を減らす
- 実際の業務の流れに沿って構成する
目指すべきなのは、単に「マニュアルがある会社」ではなく、必要なときに確認され、業務に生かされる「マニュアルが機能している会社」です。
読みやすさや探しやすさまで含めて設計することが、マニュアルの活用率と現場への定着を左右します。
2.守られるマニュアルには、手順だけでなく判断基準も盛り込む
現場で守られるマニュアルには、「何をするか」という手順だけでなく、「なぜその対応が必要なのか」「何を基準に判断するのか」まで記載されています。
詳細な作業手順だけを示しても、マニュアルに書かれていない状況が発生した場合、担当者は自己判断に頼らざるを得ません。その結果、人によって対応が異なったり、組織の方針から外れた判断が行われたりする可能性があります。
例えば、次のような情報まで明文化することが重要です。
- その手順を行う目的
- 判断するときに確認する情報
- 優先すべき基準
- 通常対応と例外対応の違い
- 判断に迷った場合の相談先
- 上司や責任者への確認が必要な条件
手順に加えて判断基準やマインドセットを共有することで、担当者は想定外の状況でも、組織の考え方に沿って対応しやすくなります。
マニュアルは、作業を指示するだけの文書ではありません。現場の判断を支え、業務品質のばらつきを抑えるための基準として設計する必要があります。
3.マニュアルで標準化する範囲と現場の裁量を明確にする
マニュアル作成では、すべての行動を細かく決めるのではなく、標準化すべき業務と、現場に任せる判断を切り分けることも重要です。
基本的な業務フローや、安全・品質に関わるルールは、担当者によって対応が変わらないように標準化する必要があります。一方で、顧客の状況や現場条件に応じて調整が必要な業務まで画一化すると、柔軟な対応が難しくなります。
細かく決めすぎたマニュアルは、現場の当事者意識を低下させ、「書かれていることだけをすればよい」という受け身の姿勢を生む可能性もあります。
そのため、マニュアルでは次の3つを明確にします。
- 必ず守るべきルール
- 基本として従う標準フロー
- 担当者の判断や工夫に任せる範囲
あわせて、担当者だけで判断してよい範囲と、上司や責任者への確認が必要な条件を定めておくと、現場で迷いにくくなります。
守るべき基準と現場の裁量を適切に切り分けることが、実務に合った、形骸化しにくいマニュアルにつながります。
マニュアルを「作って終わり」にしないための運用・定着の仕組み
マニュアルを現場に定着させるには、内容を整備するだけでなく、日常業務の中で継続的に活用される運用体制を構築する必要があります。
どれほど分かりやすいマニュアルを作成しても、判断に迷ったときの相談先が不明確だったり、教育に活用されていなかったり、更新されないまま放置されたりすると、次第に現場の実態と合わなくなり、形骸化してしまいます。
ここでは、マニュアルを「作って終わり」にせず、現場に浸透・定着させるために必要な3つの仕組みを解説します。
1.確認・エスカレーションフローを明確にする
マニュアルに記載されていない事態が発生したときや、判断に迷ったときに、「誰に」「どのタイミングで」「どのような方法で」相談するのかを明文化しておくことが重要です。
確認先や相談の基準が曖昧なままだと、担当者が「これくらいなら問題ない」と自己判断したり、相談をためらって対応が遅れたりする可能性があります。
自己判断によるマニュアルからの逸脱を防ぐためには、例えば次のような項目を定めておきます。
- 担当者だけで判断してよい範囲
- 上司や責任者への確認が必要な条件
- 緊急時の連絡先と連絡手段
- 相談する際に共有すべき情報
- 責任者が不在の場合の代替ルート
- 対応内容を記録する方法
エスカレーションフローが明確であれば、担当者は問題を一人で抱え込まず、早い段階で組織として対応できます。
マニュアルには通常時の手順だけでなく、迷ったときや例外が発生したときの行動まで盛り込むことが、現場で守られる運用につながります。
2.マニュアルを教育・研修と連動させる
マニュアルを現場に定着させるには、文書を共有するだけでなく、教育や研修の中で実際に活用することが欠かせません。
マニュアルの保存場所を案内しただけでは、担当者が内容を正しく理解し、実務で使える状態になっているとは限りません。新人研修や異動時の引き継ぎ、定期研修などにマニュアルを組み込み、実際の業務を想定しながら確認する必要があります。
教育・研修では、手順を覚えてもらうだけでなく、次の点まで伝えることが重要です。
- なぜその手順を守る必要があるのか
- ルールを守らなかった場合にどのようなリスクがあるのか
- どの場面でマニュアルを確認するのか
- 判断に迷った場合はどこまで自分で対応してよいのか
- どの条件で上司や責任者へ相談するのか
「決められているから守る」のではなく、手順やルールの背景まで理解できると、現場の納得感が高まり、状況に応じた適切な判断もしやすくなります。
また、研修後に理解度テストや実技確認、チェックリストによる評価を行うことで、マニュアルを読んだだけで終わらず、実践できる状態まで確認できます。
3.マニュアルを定期的に見直し・更新する体制をつくる
マニュアルは、一度作成すれば完成するものではありません。
業務フローの変更、新しいシステムの導入、法令や社内ルールの改定、担当者から寄せられた改善意見などに応じて、継続的に内容を見直す必要があります。
更新されないマニュアルは、現場の実態と徐々にズレが生じます。実際の業務と異なる内容が残っていると、「マニュアルは役に立たない」という認識が広がり、確認されなくなる原因にもなります。
マニュアルの形骸化を防ぐためには、次のような運用ルールを決めておくことが有効です。
- 半年に一度など、定期的な見直し時期を設定する
- 業務変更が発生した際に更新する条件を定める
- 更新責任者と承認者を明確にする
- 現場から修正意見を受け付ける窓口を設ける
- 改訂内容や更新日を履歴として残す
- 古いマニュアルが使われないよう版管理を行う
定期的な見直しに加えて、事故やミス、ヒヤリハット、問い合わせが発生した際にも、その原因を踏まえてマニュアルを更新することが重要です。
現場で発生した問題をマニュアルの改善に反映するサイクルをつくることで、マニュアルは単なる保管文書ではなく、業務品質を継続的に高めるための仕組みとして機能します。

マニュアルを定着させるために重要なのは、作成、教育、実践、改善を一連のサイクルとして運用することです。継続的に見直しと更新を行うことで、現場の実態に合った、守られ続けるマニュアルを維持できます。
AI時代におけるマニュアル運用の新しい視点
生成AIは、マニュアルに記載する情報の整理や文章化といった形式知の処理を得意としています。一方で、「この場合はこう判断する」という組織固有の判断基準や、ベテランが無意識に行っている例外対応といった暗黙知は、AIが自ら生み出すことはできません。マニュアルを実効性のあるものにするためには、現場の判断基準を丁寧に言語化し、組織に定着させるプロセスが欠かせません。
AIを活用した文章作成と、現場へのヒアリングによる暗黙知の抽出を組み合わせることで、読みやすく、かつ現場の実態に即したマニュアルをつくることができます。テクノロジーと人を正しく組み合わせる視点は、「守られるマニュアル」を設計するうえでも重要な考え方です。
マニュアルは「あること」ではなく「機能すること」が目的
マニュアルや規程は存在するだけでは組織を守れません。内容の形骸化、慣れによる自己判断の常態化、確認・エスカレーション体制の不備という3つの原因が重なったとき、マニュアルはあっても機能しない状態に陥ります。読み手視点での設計、判断基準の明文化、そして運用・定着の仕組みまでを一体で整えることが、「守られるマニュアル」への近道です。
株式会社mayclassは、業務の可視化とマニュアル制作を通じて、企業が「作って終わり」にならない、現場で機能するマニュアルづくりを支援しています。マニュアルの形骸化や遵守率の低下に課題を感じている方は、支援事例集をあわせてご確認いただけます。また、自社の状況に合わせたマニュアル運用の見直しについてのご相談・お見積もりは、お問い合わせページよりお気軽にどうぞ。

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